散歩のコツは厳しいルールを設けないこと
こんばんは、坂口友英です。
最近、休みの日には散歩をすることにしている。
健康のためとかそういうんではない。
ただなんとなく外に出て、ふだん通らないような路地に入ってみたり、ちょっと立ち止まって季節の匂いを嗅いだりするのが楽しいのだ。
……少々年寄り染みているだろうか。それでも楽しいので続けている。
この間の休日、目が覚めると外から雨の音が聴こえてきた。
せっかくの散歩の日が!ぼくは単純なので、もうそのときからがっかりして、ぼんやりと午前を過ごしてしまった。散歩に行きたい、この前見つけたけど通らなかった道を歩きたい、ついでに夕飯の買い物もしておきたい……。
でも雨。
そんなことをぐるぐる考えながらコーヒーを飲んだり新聞を読んでいたら午前が終わっていた。
もう一つの趣味である料理にも身が入らず、昼食のスパゲッティはいつもより味が薄い気がした。
食べ物をお腹に入れてちょっと眠くなってきた頃、急に『このまま家の中で過ごしているのはよくない!』と天啓にも似た衝撃が背筋を貫き……割愛。
書いてて恥ずかしくなった。
とにかくぼくは初めて雨の日の散歩に繰り出したのだ。
いざ外に出てみると、普段は煩わしい雨でも、特に目的もなく歩き回るんだったら悪くないと思った。
大粒の雨が傘にばたばた当たる音も、いつもは気にもしないけどよく聴くと風情があるものだ。
通ったことのない道には、建設中のマンションとか、なんで潰れてないの?みたいな古い店なんかがあった。
真新しい発見はないものの、見たことのない景色はやはり楽しい。
そのうち見つけたスーパーで買い物を終え外に出ると、あれほど仲良くなれそうだった雨は途端に鬱陶しく感じた。
荷物がある上に、『家に帰る』という目的が発生したせいだろうか。
正直に告白しよう。帰りはバスに乗った。
たまたまスーパーのすぐ近くにバス停があって、『お迎えにあがりましたよ』と言わんばかりに(ただの偶然なのだが)停まっているバスを見たら、それはもう乗り込むしかない。
傘についた水滴でびしょびしょになったバスの床は少し悲惨だったが、雨の中徒歩で帰るよりはずっと良いと思ったのだ。
座席に座って窓に流れる水滴を見つめていると、ひとりの女性があるバス停で乗車してきた。
70代くらいで、真っ白い髪の毛の女性。
そのバスは後部座席に至る通路がスロープではなく階段だったので、後ろまで行くのは辛かろうと思い席を譲った。
彼女はにこにこ笑いながらお礼を言って座り、ぼくが降りるまでの間、他愛のない話をした。
やっぱりぼくは単純なので、雨の日の散歩も悪くないと思ったのだった。