徒然なるままに坂口友英|元イタリアンシェフの挑戦!

坂口友英の毎日の挑戦!と意気込んでおりましたが、ゆるーりとした生活を思うままに書き綴ります。元シェフらしく、毎日の料理や食事などが多いです。

久しぶりに思い出した同窓生たちのこと

こんにちは、坂口友英です。

久しぶりに実家に帰省をしたら、中学校の同窓会の案内はがきが届いていた。
そういえば40歳のとき、記念の節目だと学年全体の同窓会を企画してくれたクラスメートがいたな。
一人で始めて、途中からは「大変過ぎたよ」って、最終的には6人になってたんだよな。
今度の幹事にあいつは、いないんだな。
このはがきには、10人近くも幹事の名前が書かれているけど、ずいぶんな人数だ、幹事は大役だものな。
あのときぼくはシェフだったから、仕事後、電車を乗り継いで、ずいぶん遅い時刻からの途中参加になったんだったっけ。
案内状に書かれていた1次会はお開き寸前で、2次会に流れる直前の同窓生たちと合流ができたんだったな。
あれからそろそろ5年になるのかあ。
あの晩は思いもしなかったけど、あの日を最後に、不慮の事故で、二度と会えなくなった友達もいたんだよなあ。
病気を治療中なんだっていう人も一人二人でなくて、もう、そういう年齢なんだよね、認めたくないけど。
今度の節目の、全体の同窓会は、参加する気持ちにはなれないかなあ。
この年になると、本人のせいばかりではない責任を背負った級友がたくさんいる。
だからなのか、同窓会って、懐かしい顔に会える半面、ちょっと切ないんだよな。
ちらほら、風の便りで聞くわけだ。

そんなさまざまな顔を、ある晩だけ眺めることになるのは、なかなかエネルギーがいるものでもあるからだ。
ぼくは今、幸せだと思う。
内面的なことで言えば、学生時代のままの、いいところをずっと大事にできたまま、人生の軌道を描き続けられる奴は少ない。繊細で、よく気が付いて、誰が見ていようがいまいが、仲間を大事にする奴ほど、会社なんかの組織の中では、生きていけないんだろうとつくづく思う。

ぼくみたいに、鈍感で、運があって、いい家族に恵まれた人間はラッキーだけど、そんなに幸運な人ばかりじゃない。
40歳のあのとき、2次会、3次会に進むごとにメンバーは減っていったけど、別れ際、なんだか、酔った同窓生や、すっかり酔いが醒めた同窓生のいろんな顔を眺めながら、健康なら、もうそれでいいよーって強く思ったのを感じたっけなあ。
ここにいるみんなに、自分が作った料理を食べてもらいたかったな、なんて。
アドレスを交換した同級生と、メール交換しながらぼくはひとりで、電車で帰って来たんだった。
さて、明日は、日曜日だけど、半期に一度の地域貢献ということで、休日出勤だ。
お祭り的な仕事の時は、以前シェフだったから、ぼくは必ずお呼びがかかるんだ。
ま、明日の地元の祭りは、愉しんで、盛り上げてやろう。