徒然なるままに坂口友英|元イタリアンシェフの挑戦!

坂口友英の毎日の挑戦!と意気込んでおりましたが、ゆるーりとした生活を思うままに書き綴ります。元シェフらしく、毎日の料理や食事などが多いです。

野菜を作っている生産者の顔を考える

こんにちは、坂口友英です。

かつては食べ物を扱う仕事についていたということもあり、僕は食材に関しては少し敏感になるところがある。
食事はできるだけ自炊をするように努めているため、日々の買い出しは日課ともいえるが、買い物に行くときにはスーパーよりも八百屋に行きがちだ。
僕は八百屋の店主とのコミュニケーションも含めて買い物だと思っている節もあり、一度顔見知りになってしまうとたまにスーパーに浮気したときの後ろめたさも少しある。
スーパーよりも八百屋の方が食材を大事に扱っている、と言うと偏見かもしれないが食材を選んでいるときに八百屋の店主と話していると、ふと店主の顔を通して生産者の顔が浮かんでくることがあるのだ。
何気なくつかんだ玉ねぎには、それを作っている人がこの世の中に確実に存在している。
当たり前のことなのだが、店主と話していると手の中にある玉ねぎの感触から人の形が浮かび、当たり前すぎてつい忘れてしまいそうな生産者の存在を実感させてくれるのだ。
近頃は生産者の写真を野菜とともに貼りだして、誰が作っているのか分かるようにしているスーパーもある。
近所のスーパーでもそのような売り場を何度か目にしたことがあるが、確かに誰が作っているのか分かった方が安心して買い物ができる気持ちも分かるし、食材に対するあるがたみも増すことだろう。
しかし逆に言ってしまえばそうまでしないと生産者の存在を意識することがなく、身の回りに食べ物があふれていることや、スーパーに食材が並んでいることが当たり前になっているということなのかもしれない。
安い方がいいに決まっている。それは想像力の欠如か。
スーパーの野菜売り場に貼られている農家の人の写真はどれもみな幸せそうに笑っている写真ばかりだ。
安く買えることは消費者にとってはありがたいが、生産者にとっては売上にならないのではないかとも考えてしまう。
そう思ったきっかけはスーパーやコンビニで、もやしが激安で販売されているのを見たときだった。
あまりの安さに僕も手に取ってしまいそうになったが、よく見るとそのもやしを作った生産者の写真だけはどこにも貼られていなかった。
考えてしまった。このもやしにも生産者の写真があったなら、その生産者は果たして笑顔で写真に写っているのだろうか。
食材を買う前に作った人のことをほんの少し意識してみる。
それだけで人間の暮らしは、自分だけでなく他の人も含めた人間たちの暮らしは豊かになるのかもしれない。
野菜の入った袋をぶら下げながらそんなことを考えて、日が暮れた商店街を歩いていた。